「以下、直前の三潴さんのTWをRTして思ったことを続けてみます」椹木野衣氏のtwitterより抜粋
1)TWSでの会田誠さんの展覧会はまだ見てないのだが、先の三潴さんのツイートを読む限り、会田さんによる「美術であろうとなかろうと」という展覧会タイトルは、後半に「残るものは残る」が省略されているのではないか。つまり「美術であろうとなかろうと(残るものは残る)」展かと勝手に想像。☞
2)が、美術についての評価が「事後的」でしかないのだとしたら、「作りたいものを作る/作るべきものを作る/生きたいように生き、その痕跡として何かが残るーーそのようなもの」(会田氏)も、結局はその大半が、いまアートや現代美術と呼ばれているものと同様、いずれは消えてなくなるしかない。→
3)かりに、生物進化論にたとえれば、将来的に美術をめぐる環境が激変したとき、現在の美術の制度や理論に適応しすぎたアートほど、未来に生き延びる可能生は低くなる。しかも長期的には、そうした激変は起こると考えるのが自然だ。もっとも、それがどのような激変かは誰にもわからない。☞
4)そうなると、結局はなんでもよい = anything goes(ファイヤアーベント)ということしかない。けれども、実際には自分が作っているものが「後に残る」という確信から作った方がいい。誠実さ云々ではなく、結局はそれが「作家」というものなのだ。が、理由はそれだけではない。☞
5)それは、後に起こるであろう美術の激変にどれかが生き残れるためには、現状での表現モデルは、できるだけ多種/多様であった方がよいからだ。会田さんが展覧会タイトルに「残るものは残る」(高慢な言い方だ)ではなく「美術であろうとなかろうと」の方を使っているのは、きっとそのためだろう。→
6)危惧があるとしたら、「美術であろうとなかろうと」という会田さんの試み自体が、その利発さゆえに「すべて近い将来滅びる運命にあるだろう」「美術(芸術、アート、contemporary art)とは何かーーこのような問いを前提に作られるもの」に陥っていはしないか、ということだ。☞
7)しかし、そこは名うての目利きの会田さんのこと。会場ではきっと、そんな懸念など忘れさせてくれる展示を見せてくれることだろう。展覧会を訪ねて驚かされることを期待したい。12/25まで、TWS本郷で開催。(了)